コートランド・ストリート駅、17年ぶりに営業再開!
マンハッタンを走るニューヨーク地下鉄のIRTブロードウェイ-7号線の「コートランド・ストリート」駅(Cortland Street)が、9月8日の午後に営業を再開した。
外壁にはアメリカの独立宣言と世界人権宣言の文言が刻まれた大理石モザイクの作品が飾られ、パストレインの「ワールド・トレード・センター」駅などとも改札外で接続する駅だ。
元々は1918年7月1日に開業したと言う歴史のある駅。
閉鎖になったのは、2001年の9月11日。
営業を再開するまで、実に17年も掛かった計算になる。
2001年9月11日。
つまりはアメリカ同時多発テロのあった日。
テロで破壊され、17年間、営業するコトがなかった「コートランド・ストリート」駅。
その長い時間、諦めるコトなく、利用者が求め続け、そして復興のシンボルとして、この駅の再開に向けた活動が続けられたと言うコトなのだろうか。
世界に新たな対立軸が出来た瞬間
17年と言う月日は、ホントに長い。
2001年の9月11日。
それまでの世界と軸が確かに変わった日。
冷戦が崩壊して以来、世界は良い方向に向かっていくと言う機運があった様に思う。
平和で、旅がしやすくなって、そこにテクノロジーが加わって…
そう言った時代に、飛行機がニューヨークの街中へと突っ込んでいった。
宗教とアメリカ・西洋社会言う対立軸が生まれた。
国と国とではない対立軸。
そしてそれ以来、その対立軸は歩み寄るコトなく、今に至る。
そんなコト、2001年当時は思ってもいなかったけれど。
[amazonjs asin=”4314011068″ locale=”JP” title=”殺す理由: なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか”]17年前のその日、ボクはカンボジアにいた
2001年の9月11日。
ボクはカンボジアにいた。
シェムリアップ。
バンコクからアランヤプラテートに出て、カンボジア側のポイペトへ。
ポイペトから国道6号線をピックアップトラックの荷台に揺られて、シェムリアップに向けて、ひたすら走る。
が、この道。「国道」とは名が付くけれども、途中のシソポンの街までは、当時、舗装もされていないただの土の道で、でこぼこもあれば、そのデコボコ土道をピックアップトラックがスピードを出して走るモノだから、窪みを超える毎にトラックがジャンプする様な代物だった。
しかも、途中からスコールにも遭い、シェムリアップに到着した頃には、もう疲れたの一言。
アンコールワットを一通り、見回って、ふと宿で見たテレビ。
それが同時多発テロを知った最初の情報だった。
BBCか何か英語ニュースが流れていたのだけれども、最初、全然、信じられないのに加え、ボクの英語力の低さで、実際のニュースじゃなくて、何かの映画の一場面か何かだと思ったぐらいだった。
あまりにもカッコいいCGだな…とすら思ったし、何故、同じ場面ばかりが繰り返される映画なんだろう…と思ったりも。
それぐらい、映像を見ていても真実味が感じられなかった。
ビルに飛行機体当たりするだなんて、今でも信じられない話ではあるけれど。
あれから17年。
それ以来、カンボジアと言う国を訪れてはいない。
だけれども、今やアンコールワットは世界中から観光客を集めるスポットに変わったと言う。
地雷があちこちに埋まっていた17年前。
今でも完全に地雷は撤去出来ていないだろうけれど、17年と言う月日は、経済の流れを変え、国の形を整え、人の教育を行う時間としては、充分すぎるぐらいに充分だ。
「コートランド・ストリート」駅の営業再開。
17年掛けてでも再開すると言う人の思いの強さ。
だけれども、世界の情勢は17年掛けても何も変わらず、寧ろ、悪化している様にしか思えない。
どうしてこの17年もの月日を掛けて、人と人の距離が縮まらないのだろう…
どうやったら、人と人の距離が縮まるのだろう。
文化・コトバ・宗教・考え方。
それらを凌駕して、リスペクト出来る関係になるには、世界がどう言う流れになれば良いのだろう。
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