ワクチン難民になりかけていましたが、ようやく昨日、1回目の接種が終了。
確かにちょっと腕、痛いですね…
このまま何もなく、2回目に進めると良いのだけれど。
ブラジルの邦字紙・ニッケイ新聞、年内に廃刊へ!
世界最大の日系社会があるブラジル。
日本から見ると地球の裏側にある国だが、そのブラジルで刊行されて来た邦字紙の『ニッケイ新聞』が、2021年12月18日付で廃刊するコトが発表になりました。
『ニッケイ新聞』は、1998年に『パウリスタ新聞』(1947年1月創刊)と『日伯毎日新聞』(1949年1月創刊)が合併して今の形になった。
そこから23年。
既に『サンパウロ新聞』は、2018年末に廃刊。
配達の遅れや様々な困難もあったコトは想像に容易いが、そうした中で脈々と受け継いで来たブラジルにおける邦字紙が幕を閉じると言うコトになる。
元々、後続移民がいなくなった時点で、いつかは形を変えざるを得なかったのは、事実。
これ以上、新しく一世が生まれないと言うコトで、その後は、少しずつ現地に同化して行く流れなのだから。
さらに紙媒体からネット媒体への移り変わりもある。
もちろん、『ニッケイ新聞』も新しい読者を求めて、2012年からはPDF版の発行もスタートさせており、学校などに向けたアカウントサービスも行っている。
さらにヤフーとの提携も行なわれ、それまでの日本と日系社会とブラジルの情報を日系移民に伝えると言う役割の他に、日本在住者にブラジルの情報を発信して行くと言う使命も加わった。
が、それでもここで力尽きた。
廃刊のお知らせで、『ニッケイ新聞』の高木ラウル社長は最後に、
コロナ禍によって購読者は大きく減り、さらに広告も激減しました。それ以前から厳しい状態だった経営は、パンデミックによって完全にトドメをさされました。
と綴っている。
ギリギリ成り立っていた経営。
いつかは終わると思われていたサービスではあったけれど、辛うじて踏ん張っていたのが、コロナ禍で最後の一押しを刺されたと言う感じなのだろうか。
2022年1月には、NPOの「ブラジル日報協会」が新たに邦字紙を創刊して、『ニッケイ新聞』の読者を引き継いでいくとのコトなので、ブラジルにおける邦字紙は、当面、生き残るコトにはなる。
だが、新たな移民もいない中で、どう言う存在価値を見出して行き、それを昇華させていけるのか…
既存のビジネスモデルでは、もう限界と言うコトが分かっている中で、厳しい舵取りになるのは、間違いがなさそう。
コミュニティの核としての言語・文字媒体
特に日本の場合、日本語を話すのは、日本人・日系人がほぼ…と言う状態な訳で、言語と言うのは、世界で広く話されている英語などとは比べ物にならないぐらいに、コミュニティの核になっている存在だと。
コミュニティペーパーは、その核の中でも中心を担う存在。
それはどれだけ紙媒体が廃れたと言っても、やっぱりまだまだ健在なのだと思う。
コミュニティの共通言語としての日本語が廃れたら、コロニアは分解するor分解の速度は加速度的に早まる。
それは間違いがないだろう。
既に、一世はかなり数が少なくなっている状態の中で、ブラジルにおける日系社会とは何なのか。
それを活かすべきなのか、それとももっと地域への融合を進めて行くべきなのか…
その分岐点になっているタイミングなのかも知れないですね。
日系社会は、これからどう変化して行くのか…
ただやっぱり最大の日系社会を抱えているブラジルで、長年、親しまれていた邦字紙がなくなると言うのは、ショックがある。
コロンビアから南下を続け、パタゴニアで折り返し、ブラジルに初めて訪れた時、まず目指したのは、日本人街(東洋人街)・リベルダージ(リベルダーデ)のあるサンパウロだった。
リベルダージを歩くと、日本語があり、日本食があり、日本人宿があり…
世界有数規模の日本人学校があり…
久しぶりに出会う日本の数々…に感動を覚えた記憶しかない。
それを維持してきたのは、それまでの先人のおかげな訳だけれども、その日本人街も、日本からの移民がなくなり、日本人の人口が減少すると共に、中国・韓国からの移民も増えていた矢先だったけれど、やはり世界最大規模のコミュニティを持つサンパウロであっても、“日本”を維持すると言うのは、難しいコトなんだろう。
今後、どう変化して行くのか。
確かにそれは興味がある。
でも、変化する前に、もう1度、訪れたいと思うのは、旅人のエゴだろうか…
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