人が消え、静寂に包まれた夜の京都・産寧坂と二寧坂

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緊急事態宣言下での京都。
大阪よりも町中に人がいる気はしたけれど、やっぱり観光客は激減。
古都・京都と日本を代表する街ですら、厳しい情勢になっているのは、間違いないんだろう…と言うのを実感した夜だった。

人のいない夜の産寧坂

大阪で1泊した後、京都へ。

去年の秋以来の京都。
仕事が早めに終わって、松原通近辺にいたので、ちょっとだけ寄り道して、夜の産寧坂へ。

緊急事態宣言下の京都。
そもそも観光客が少ないのに、夜…と言うコトもあってか、さすがに清水坂を歩いて上っていても、誰ともすれ違わない。

そこまで夜遅い訳じゃない。
普段、このぐらいの夜の時間帯に、どれぐらい人がいるのかも分からないけれど、それにしても誰ともすれ違わないと言う場所でもないハズなのだが…と思いつつ、産寧坂に出た。

 

下りの階段から、円山公園方面を見る…

が、それでも誰もいない。

日が沈み、暗がりが広がり、ポツポツと明かりが灯り、建物に影ができる。
古都・京都を代表するかのようなスポット。

“京都”と言っても、基本的には100万人が住む大都市で、街中は近代建築で溢れているけれども、ココは多くの観光客がイメージする“京都”が残っている場所。
それでも普段は、そうした場所を楽しむようなスポットにはなっていない。

観光客が多すぎて、寧ろ、人を見て歩いているぐらいのスポット。

それなのに、人が皆無。

人の姿も、話し声も、足音も、何も聞こえてこなくて、ただ暗がりの中に、ひっそりと産寧坂の風景が広がっているだけ。

かつての京都ならば、どこでも見られたであろう風景が、静かに目の前に広がる。

こんな京都に、まさか2021年になってから出会うとは…

暗がりと静寂だけが広がる二寧坂

産寧坂からそのまま石畳の道に入り、二寧坂へ。

やっぱり人はいないまま。
圧倒的な静寂と、“古都・京都”の風景が広がるだけ。

シンプルに、美しい。
でも、なんか儚い気がしてしまった。

喜んでいいのか。
それすら分からなくなる。

いや、最初は喜びましたよ。
夜と言えども、こんな人のいない二寧坂なんて、出会えるコトはほとんどナイでしょうからね。

でも、喜んだのも一瞬だった。

緊急事態宣言が出て、不要不急の外出の自粛が叫ばれている状況ならではの風景なのは、間違いがない。

またこの場所が賑わいを見せる日はいつになるのか。
いや、そんな日が近い将来、訪れるのだろうか。

ふと、そうしたコトさえ考えてしまったら、急速に、暗がりと静寂の中に自分が飲み込まれて行くような、そんな感覚に陥った。

 

いや、きっと来る。

そして、その時にはまた遊びに来るよ…とも。

With コロナの旅・ポストコロナの旅

旅に出るコト。

それが躊躇われる時代。
観光地としては、死活問題なのは、間違いがない。

だけれども、この緊急事態宣言やコロナ禍をどう活かすのか…と言う話が、もっと出て来ても良いのに…とは思う。

特に、この京都の場合は、オーバーツーリズムも叫ばれていた訳だし。

現状の京都。
確かにそれどころじゃない。
観光客の減少とかそう言う次元じゃなくなっている訳だから。

それもあるに違いない。
そうじゃなければ、ボクの目の前に、誰もいない二寧坂の風景なんて広がっていないだろうから。

ただ、観光地として、観光都市として、何を変えて行くのか(変えて行かなくても良いのかどうかも含めて)。

そしてどう言う情報を発信して行くのか。
ポストコロナで、どう言う場所を目指して行くのか。

そう言う動きが京都ならばもっとあっても良いのに…と言う気はするのだが。

逆に、そうしたコトを厳しい情勢ながらも、地道に行なっている場所ほど、ポストコロナでの初動が良くなるんじゃないのだろうか…と。

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