20年。
その前までは、インターネット社会の到来で、もっと旅がし易くなり、もっと身近なモノになる。
そう思っていたのですが、この20年間、確かに便利にはなったし、旅のスタイルも変わったけれど、“行きたくても行きにくい場所”と言うのも増えた20年間だったように思う。
9.11から20年が過ぎて…
米国同時多発テロが起きた2001年9月11日。
その時、ボクはカンボジアにいた。
まだインターネットも黎明期に等しく、ほとんど情報がない中で、何が起きたのか。
それを瞬時に判断するコトはボクの著しく低い英語能力では、できず、“今までで見たコトのないような映像が、テレビで繰り返し流れている”のを見て、“良くできた映画だけれど、なぜこのシーンを繰り返し流しているのだろう…”とすら思ったのを、今でも覚えているけれど、その後、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領がテロとの戦いを宣言し、それから20年の長い時間が過ぎても、その脅威が衰えないとは、当時の暢気なボクは知る由もなかった訳だけれど…
あれから20年が過ぎた今。
“テロとの戦い”は、終わりを迎えるどころか、ジハードを掲げる組織は数を増やし、世界各地に拡散した。
先日、米国はアフガニスタンでの作戦を終了させたけれども、明らかにこの20年間を掛けた戦いは、失敗に終わったのは間違いない。
確かにアルカイダの指導者だったウサマ・ビンラディン容疑者は、討つコトには成功した。
イラクへの侵攻も行い、フセイン大統領を拘束し、イラクへの駐留にも成功した。
“9.11”に勝る同時多発テロ行為も起きていない(パリやブリュッセルではテロが発生したけれど)。
米国主導のアフガニスタンへの侵攻も行い、タリバン政権は倒れた。
だが、結局、テロ行為は根絶できなかったどころか、世界に拡散し、そして先日、アフガニスタンではタリバン政権が再び、国土を掌握した。
負の連鎖。
それが国境を越えて行く。
それが今の世の中。
そして、何もかもが中途半端なまま、時間だけが過ぎ、アフタにスタンは元の姿に20年かけて戻った。
この20年間のテロとの戦いとは、何だったのか…
この20年とは、一体、何だったのだろう。
ふとそうした気にもなる。
テロ支援国家として名指しされた国には行きにくくなり、旅もしにくくなった20年。
主に“西側諸国”と呼べる国々は、何をどこで間違えたのだろう…とすら思う。
そして、結局、宗教観が下地になっている価値観は、相容れないのだろうか…とも思う。
いや、最初はまだ良かったように思う。
だがイラクに突入したコトで、何かが変わり始めたように思う。
大義名分もないまま、イラクへと突入した米国が主導する西側諸国。
作られた戦争が、またジハードへの呼び水になって行く…と言う循環。
どこかでその負の連鎖を断ち切るコトもなく、ただ疲弊しただけの20年。
点を1つずつ打ち砕いても、点から線、そして面になったり、ネットワークで繋がった現代のテロ活動。
今後も、その脅威はまだ続くのは確実で、それに対しての解決策は、軍事作戦ではなく、治安を維持しながら、いかに不正をなくし、雇用を作り出して、生活をボトムアップして行くと言う内政でしかない訳だけれども、米軍後を担う世代が、どの国にも枯渇しているように思える。
その辺りは、戦後統治が上手く行った日本との決定的な差なのかも知れないですね。
もっと検証されるべき20年だったのは間違いない
で、これからの10年。
タリバンが政権に返り咲いたアフガニスタン情勢が、国際的に何か大きな影響を再び与えるとは、思えないですが、この20年間で終わらなかったテロとの戦いは、この先も続いて行くコトになるのでしょう。
下手をしたら今まであまり“テロ”の標的になかったエリアまで拡大をする可能性もあるでしょう。
どのエリアも、どの国も、生活をボトムアップして行くコトが、まずはテロの脅威とテロ組織への人の流入を抑えるコトに繋がると思うのですが、どこでテロとの戦いの連鎖を食い止められるのか…
まずは大義名分もないままの長い戦いに入ったコト。
それを実施した国とそれを支持した国があると言うコト。
そしてその国際情勢が正しかったのか、唯一の道だったのか。
そこをしっかりと検証して、次に進むべきなんだろうな…と言う気がしてならない。
その上で、実行部隊を派遣しない今の日本には何ができるのか、を問うべきなのかな…と。
また何よりも20年前のあの日、犠牲になった方々の命と、その後の連鎖で犠牲になった方々を無駄にしてはならないとも。
それは米国側の人間だけでなく。
コメントを残す