『旅する胃袋』
著:篠藤 ゆり
刊:幻冬舎文庫
旅の中の「食」を描いた1冊
アートンから刊行された本作の文庫化。
“食”に関する本と言うのは、数多く、その中で旅にまつわる本と言うのも、結構な数になると思う。
だけれども、“食”に関する本の難しいのは、当たり前だけれども“味覚”を文章にしなければならないと言う点に尽きる。
“おいしい”だとか、そんな陳腐なコトバでは表現できないのが、“味覚”なのだ。
もしテレビの紀行番組であれば、映像である程度、見せるコトが出来る。
特に色や形については、映像があれば、それだけで問題ない。
だけれども、文章になると、日本では知られていない様な料理や食材の形や色と言ったモノまでも表さないと、食レポにならないと言う難しさ。
見たコトがない・味わったコトのないモノを表して、伝える。
それは、かなりハードルが高い。
本書は、それが案外、伝わる。
それはあくまでも、“旅の中の食”と言うポジションを崩していないからなのだと思う。
あくまでも、“旅”の中で出会った“食”と言うだけで、“食”がメインだと思うと、ちょっと物足りない感じがするかも知れないし、別にタメになる情報が掲載されているかと言われると、そう言う訳でもナイ。
どこまで読んでも、旅人の目線。
主体的と客観的の、ちょうど中間ぐらいの目線。
それが伝わりやすさになっている理由なのかも知れない。
住んでいる人がいて、風景があって、音があって、匂いがあって、そこに“食”がある。
そうした描写を旅人目線で描いた1冊。
「食」は大きなウェイト
バックパッカーの旅でも、実は“食”と言うのは、旅の中で大きなウェイトを占めると思う。
別に、こじゃれたお店に行く訳でもなく、気取ったお店に行くコトも多くはないし、今日、食べた料理の名前すら分からないコトも多いけれど(笑)。
ただちょっとした場所で、自分の舌にビビッと来る料理やお店に出会った時の、嬉しさと言うのは、計り知れないモノがある。
最後に収められた「ジブラルタルの南、サハラの北」と言う章は、モロッコの旅を描いた話なのだが、ここでも予期せぬ場所で、洗練されたオムレツに出会った著者。
『たぶん2度と訪れることはないだろう。だが、小さなオアシスの町のこのレストランのことは、一生忘れないと思う』
と描いている。
そう言えば、かつてボクも西アフリカのマリで、特に観光スポットもない町でフラッと入った屋台にも近いお店が、あまりにも美味しくて、1泊しようかどうかすら迷っていたのに、3泊もしたコトがある。
町のコトはもう何1つ思い出せないのに、お店の場所とか、雰囲気とかだけは、今でも忘れないでいる。
それだけ旅に“食”と言うのは、重要なエッセンスになると言うコトなのだろう。
世界各地。
色々な“食”がある。
日本だって、北海道と沖縄とでは“食”や食文化が異なるみたいに、同じ国の中でも、“食”が異なると言うコトも、ザラにある。
どうしてココまで豊かになったのかと言われれば、やっぱり1日3回、人間が接するコトだからこそ、“食”が豊富なるのだと思う。
本書は、ついその“食”の豊かさを感じさせてくれる。
まさに“豊穣”な旅行記。
今みたいに、先が見えない時期だからこそ、その豊かさに触れるのも良いかも知れない(でも、電子書籍版が出ていないんですよね…)。
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