イスラエルとパレスチナの歴史を振り返ってみた

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アメリカのトランプ大統領が、イスラエルにあるアメリカ大使館を、現在のテルアビブからエルサレムへと移設するコトを発表。

それに対して、パレスチナ側は猛反発し、大規模な抗議活動へと発展している。
またパレスチナだけにとどまらず、諸外国でも抗議デモが発生していると共に、ヨーロッパ諸国などはそれに同調をしない声明を出しています。

そもそも、どうしてアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムへと移設させたいのか。
いや、その前にどうしてアメリカのみならず各国の大使館がエルサレムにないのか。
そして、何故、今なのか。

それはイスラエル建国以来の歴史と密接な関係があるのは、「何となく分かっている」と言う方も多いかと。

ボク自身も、そこまで詳しくはないですが、歴史を振り返ってみると、ざっくりですが、こんな感じになるのかと。

3分ぐらいで振り返るイスラエルとパレスチナの歴史

まずはヨーロッパで差別を受けていたユダヤ人の中で、「シオニズム」が誕生したのが19世紀末ごろ。
それに伴い、一部のユダヤ人のパレスチナへの移住が開始されます。

第1次世界大戦の結果、オスマン帝国が崩壊する訳ですが、この時、イギリス政府が「3枚舌外交」と後に呼ばれ、現在のイスラエルとパレスチナの関係を要因になる様な外交を展開します。

第2次世界大戦近辺には、ナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害や追放・ホロコーストが激化し、終戦後の1947年には、国連で「パレスチナ分割決議案」が採択され、翌48年にイスラエルが建国されます。
同年の「第1次中東戦争」でイスラエルが勝利した結果、パレスチナ難民が発生し、67年の「第3次中東戦争」ではイスラエルがヨルダン川西岸とガザの占領を開始。
73年の「第4次中東戦争」後の78年に、エジプトとイスラエルが単独和平を結び、82年はにはイスラエルがレバノンへと侵攻。

niki_vogt / Pixabay

87年には「第1次インティファーダ」と呼ばれる大規模な抗議活動がパレスチナで起きます。

和平ムードが出て来た93年にはパレスチナとイスラエルがパレスチナ暫定自治協定を調印(「オスロ合意」)。

が、和平停滞と共に、2000年に「第2次インティファーダ」が起きる。
2002年に分離壁の建設が開始され、2007年にはパレスチナ自治政府がファタハとハマスに分裂し、イスラエルがガザ自治区の軍事封鎖を開始(翌年、ガザ侵攻)。

年表的に見れば、こんな感じでしょう。

それぞれを少しだけ詳しく見てみると…

それぞれの歴史を少しだけ紐解いてみたいと思う。

まず、最初に出て来る「シオニズム」。
これは「シオンの丘(聖地・エルサレム)に還る」と言う社会・政治運動。
“ユダヤ人の王国がそこにあった”と“される”コトに基づいている訳ですが、そもそも王国があったとされるのは、紀元前1000年ごろの話で、別に現代でもなく、近代ですらない話。
王国が崩壊したコトでユダヤ教徒が世界に離散をし、その後は、ヨーロッパ各国で差別を受けたコトから、このような運動に発展した模様。

当時、このパレスチナの地域を支配していたのは、オスマン帝国。現在のトルコです。
そのオスマン帝国が第1次世界大戦で滅ぶ訳ですが、その際、当時世界最大の力を持っていてたイギリスは、

・アラブ人に対しては、オスマン帝国に対して反乱を起こせば、中東でアラブ人国家の樹立を認める約束を
・ユダヤ人に対しては、シオニズムの支援を約束
・同盟を結んでいるフランスやロシアとは戦後のオスマン帝国の領土の分割を約束

と何とも都合の良い外交をしたのが、イギリスによる「3枚舌外交」です。
この時のアラブ人国家樹立の約束と、シオニズム支援が、今に続く混乱の根本の1つですね。

BruceEmmerling / Pixabay

そして、47年には国連がパレスチナの土地を、ユダヤ人の国とパレスチナ人の国とに分ける「パレスチナ分割決議」をなされた訳ですが、人口の大多数のパレスチナ人に対しては44%の土地しか認めナイと言うモノでありました。

「イスラエル建国」後、周辺アラブ諸国がイスラエルの建国を認めず、「第1次中東戦争」が起きますが、イスラエル側の勝利で幕を閉じ、その結果、「パレスチナ分割決議」で定めた以上の土地をパレスチナから奪うコトに成功。
残りのパレスチナの土地も、ヨルダン川西岸地区をヨルダンが、ガザはエジプトが支配下に置き、この時の休戦協定が今も国際的にイスラエルとパレスチナの基本境界線とされる「グリーンライン」になります。
この混乱で、当時、70万人に及ぶ人が難民となり、難民キャンプでの生活が始まったとされています。

「第3次中東戦争」ではたった6日間で圧倒的な勝利をイスラエルがおさめ、エジプト領のシナイ半島と、シリア領のゴラン高原などを占領下に。

そうした中、パレスチナの民衆が抵抗運動を起こす「インティファーダ」が87年に大規模起こった末、和平に向けた「オスロ合意」が結ばれるモノの、その後はラビン首相が暗殺されるなど、和平は停滞。
そして、「第2次インティファーダ」が2000年に起こるコトに。

超ざっくりとした振り返りでしたが、こんな歴史がある地域。
「オスロ合意」の辺り以外は、もうずっと戦っていると言うコトだけは分かるかと思いますが。

解決策はあるのか…

そもそもエルサレムは、パレスチナ側から見ても、イスラエル側から見ても、重要な場所であるコトは、今も昔も変わりがナイ場所。
国際的な風潮も、どちらもが領有権を主張している都市だが、イスラエル側が実効支配をしている場所と言う流れである都市でしょう。

どちらにとっても譲れない場所であるのは、宗教的に大事な場所と言う点が大きいのでしょうが、解決するには国際機関による統治がベターな場所であると言う風潮でもあるかと思います。

neufal54 / Pixabay

それなのに、今回、アメリカが、エルサレムをイスラエルの首都であると認める様な大使館の移転に踏み切ったのか。
そんなコトをすれば、パレスチナのみならず、アラブ諸国を始め、反感を食らうコトだけは、誰の目から見ても明白なのに。

パレスチナとイスラエルの関係や、パレスチナ難民の現状については、ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち(高橋 真樹・著:現代書館・刊)が非常に分りやすく、入門書としてベストな本になっています。
パレスチナ難民についての本ではあるのですが、その歴史なんかも極めて分りやすくまとまっている1冊。
あまりナイんですよね、分りやすく用語を含めて解説してくれている本って。

それだけ複雑化している状況だと言う表れなのかも知れないけれど。

つづく


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