カストロ議長、亡くなる

カストロ議長とは…

キューバのフィデル・カストロ氏が亡くなった。
享年90歳。

長生きをした革命指導者。

グランマ号でメキシコから総勢82名でキューバに上陸。
空軍から攻撃され、82名が18人に減るモノの生き延び、そこからゲリラ戦を再開させ、キューバ革命を成功に導き、以後は、最高指導者として君臨した訳だけれども、カストロ議長自身、生前の偶像崇拝を嫌っていたが故に、実績や何処までカリスマが今の世代にも残っているのかとなると、良く分からない気がする。

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今年の2月、初めてキューバを旅したけれども、良く共産圏にある指導者の肖像画などは一切見当たらず。
盟友のゲバラの肖像ですら、ハバナ市街地だけで言えば、そこまで多くはなかった。

日本のゲバラ信仰と言うか、ファッショナブルのスターとしてのゲバラの人気は高いし(日本ほどゲバラの認知度が高い国もそう多くはないと思うけれど)、ボク個人としても気に入ってはいるけれども、それに比べると、カストロ議長の評判と言うのは、全くと言ってよい程に聞かない。

賛否は分かれる所だと思う。
立ち位置によって見方も変わる人だと思うし(革命の指導者は全員、そうだとも思うけれど)、経済政策は失敗しながらも、何とか国を守っているのも事実。
でも、このシンプルさはもっと買われるべきなのではないかとも思う。
政権にこだわる訳ではなく、一族で身を固める訳でもなく(弟のラウルは一族だけれども、ラウルの場合、革命時からの仲間でもあるから、またちょっと意味が違うように思うので)、日本の政治家の様に子供に政治を継がせるコトもしていない。

広島を訪れていたカストロ議長

そして何よりも、カストロ議長が広島の原爆ドームを訪問した時の芳名帳の言葉が、何よりも重い。

このような残虐な行為を、決してまた犯すことのないように

オバマ大統領が今年、広島を歴訪したけれども、まだまだ世界の指導者が日本に来て、広島に訪れる人は多くない中、カストロ議長は広島を訪れていて、そう書き残したと。

ゲリラ戦を戦い抜いたからこそのコトバなのだろうけれども(ゲリラ戦は良いのか?とも突っ込みたくなるけれど。反対勢力を厳粛した訳でもあるから)。

また広島歴訪後の国会で、広島の話を、こう述べたとも。

何百千万の人々があの地を訪れるべきだ。あそこで起こったことを人類が真に知るために

勿論、当時は敵対していたアメリカを批判する意味合いも強かったのだと思う。
でも、このコトバは、軽々しくと話せないコトバだと思う。

そして、カストロ議長が話すからこそ、重みのあるコトバ。
でも、世界の指導者も、このコトバをもっと知って貰いたい所。

今年は、タイのプミポン国王も先日、お亡くなりになったけれども、発したコトバに重みを持つ指導者が、また一人、居なくなった訳になる。

それを“時代が変わる”と言うコトバだけで片付けていいのかは分からない。
まだまだラウルがキューバでは実権を握っているし、軍にも基盤を持っているラウル氏だから、そこまで大きな体制の変化はないと思う。
でも、秋からはキューバとアメリカとを飛行機が直接結び始めた。

やっぱりキューバの時代も少しずつ、時計の針が動き始めるのは、間違いがないのだろう。

90歳。
長く生きた指導者ではあったけれども、波乱のある90年だったハズで、穏やかに眠って頂きたいと願うばかり。

中央アジアの旅がブログ上も完結したので、2月に行ったキューバの旅をブログに…と思っていた矢先なんだけれども、どうしたモノか…
まだ働いていた時の旅だから、そんなに長くならないしなぁ…

 

 

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