『空白の5マイル』

『空白の5マイル』

著:角幡唯介
刊:集英社

“前人未到”だったチベットのツアンポー峡谷へ

前人未到の峡谷であった奥チベットの「ツアンポー峡谷」に残る“空白の5マイル”を単独制覇した冒険記。

19世紀末~20世紀初頭に掛けての「ツアンポー峡谷」の探検史から始まる本書。
探検史などの話が織り交ざっているので、ちょっと取っつきにくいかもしれないけれども、角幡さん本人の冒険記は、1998年の大学4回生の際の旅行・2002年末・2009年末の3回分が本書には含まれています。
その中で、やっぱりメインは最後の2回目の「ツアンポー峡谷」の単独行である。

と言うコトで、既にこの「冒険」が行われてから10年も前の話にはなる。
10年前と言えども、インターネットが広まり、どんどん地球上に“未知”の場所が無くなって来ていた時代な訳で、そんな時代にこんな場所が残っていたコトに、まずは驚きが残る。

人類が未踏だったと言われた土地。
これまで数々の冒険家達が訪れては、その挑戦を跳ね返して来た場所。
そこに足を踏み入れようとするコトが、どんなコトなのか。

一言で言ってしまえば、“探求心”と言う話になってしまうのだろうか。
いや、“執念”と言うコトバの方が近いか。
それとも“酔狂”と言えば良いのか。

この“空白の5マイル”が空白じゃなくなったとしても、日本に生きる人間にとっては、まるで意味のない話であって、世間は空白であろうがなかろうが、変わるコトなく時間が流れる話。

「冒険」や「探検」と言うコトバが、最早、死語と化しつつある今の世の中で、命を懸けてそれを行うと言うコトに、どれだけの意味があるのか。

でも、理屈じゃない。
行動なのだ。

机上の空論じゃない。
リアルなのだ。

文字やコトバや写真じゃない。
体験なのだ。

そう感じさせる1冊。

開高健ノンフィクション賞。
大宅壮一ノンフィクション賞。
梅棹忠夫山と探検文学賞。

トリプル受賞をしたと言うのも、伊達じゃなく、リアルな「冒険」と確かな文章で、納得が行く作品。

情報がない「旅」もたまには悪くない

「冒険」と「旅」。

昔はもっと寄り添っていた様に思う訳だけれども、今や世界のどこにいてもインターネットが使える時代である。
何か知りたいコト・調べたいコトがあれば、スグにどこにいても調べられると言う時代。

そんな時代に「冒険」と言うのは、どんどんその要素が無くなって来ている様に思う反面、「旅」は人々の身近のモノになったと思う。

情報がない中で進む「冒険」と、情報を基に動く「旅」。

時間の合間で調べ物をし、次に行く場所やお店・宿なんかを決め、それに従って行動をする「旅」。
今や、地球上のどこに行こうとしても、大抵の情報は手に入る様な時代であって、手に入る情報と言うのも、どんどん細分化して行っていると思う。

便利になった。

確かに、非常に便利になった。
でも、その一方で、もっと無計画に、無鉄砲に「旅」をしたいなぁ…と思うコトもある。

誰かの情報によって左右される「旅」ではなく、もっと自分の欲求に基づくままに動く「旅」がしたい…みたいな。

でも、結局、ボクの「旅」は先人たちの足跡をなぞって行く「旅」でしかない。

もちろん、それは今に始まった話ではなくて、インターネットが今の様に発展する前までだって、『地球の歩き方』や『ロンリープラネット』と言ったガイドブックを片手に旅をしていたし、宿では同じ様な旅人の話に耳を傾け、情報ノートがある様な宿であれば、それを事細かに確認していた訳だから。

だけれども、情報が簡単に入手出来る様になって以来、意識していないと情報をシャットダウンするコトが、難しくなって来たとも思う(便利になった訳だから、歓迎しなければいけない話なのだけれども)。

情報が溢れる世の中。
だからこそ、たまには情報のナイ時間に飛び込んで行きたい。
久しぶりに、そんな「旅」に飛び込んで行きたい。
誰かの情報を片手に…じゃなくて、リアルでALIVEな、そんな「旅」。

それは便利になった今の世の中だからこそ、必要な「旅」なんだとも思う。

何だかそんなコトを思わせた1冊。

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