シリアにてジャーナリストの後藤健二さんを、殺害したと言う映像を、拘束をして来たISISがインターネット上で公表した。
先に公表されていた湯川さんに続いて、同じ結果になってしまった。
後藤さんのtwitterにこんなコトバがあった。
短いけれども、深いコトバ。
「そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない」
旅人とジャーナリストは違う。
でも、何かがあった時は、誰もが同じ。
どんな理由でその場所に行っていようが、1人の人間であるコトは同じだから。
旅をする上で、大切なモノ。
それは人によって違いが出るとは思う。
でも、どの人も共通で、パスポートとお金は、やっぱり重要なモノ。
それは間違いがないと思うけれども、同じ様に、安全と言うのも、目には見えないかも知れないけれど、重要な要素の1つだろう。
“安全”と一口に言っても、それこそ人によって度合いは違うだろうし、捉え方も違うだろう。
身の回りのモノが狙われるコトもある。
出歩いては行けないと言われているエリアに足を踏み入れなければ、何とかなる国もある。
でも、やっぱり安全が保たれていなければ、旅は出来ない。
だけれども、広い世界を探してみても、“安全”とある程度、言い切れる場所や国は、そこまで多くはナイ。
それが事実だろう。
その中を縫うようにして旅をしているし、今まで、旅をしてきた。
これからも、安全かどうか、見極めながら旅をするだろう。
それは間違いがない。
世間一般的に危険だとされている所だって、行ってみれば、拍子抜けるコトもある。
結局の所、行ってみて、自分の肌で感じてみなければ、分からない部分は多い。
日本では見えない部分が多いから。
自己責任と政権批判
自己責任と言うコトバで済ませてはいけない。
それはISISや相手方を利するだけのコトバ。
批判の矛先が違う。
何よりも、死者・犠牲者に鞭を打つだけの行為だ。
政権批判を行うのであれば、正しい検証が必要だ。
中東歴訪のタイミングは正しかったのか。
そもそもいつからISISとの交渉を行っていたのか。
スピーチの場所や英文は、適正だったのか。
それらが明らかになっていないのに、批判だけを行うのは、正しいとは思えない。
でも、今回のケースでイスラムが偏見の目で見られてしまわない様に。
そしてこうした間も、シリアで起きているコト、イラクで起きているコト、それをしっかりと知って行かなければならない。
戦争と言うコトは、どう言うコトなのか。
宗教と言うモノは、どう言うモノなのか。
1つのモノの広がりが、局地的ではなく、グローバルに展開する様な現代。
日本にいると、どうしても異質のモノに目をつぶってしまいがちだけれども。
若い人が旅をしなくなったと言われて数年が過ぎた。
ホントに、そうなのかは分からないけれども。
ただ、外の世界を見なくなって、バーチャルな世界で満足をするコトで、さらにこうした日本とは違う考え方に鈍感にならなければ良いけれど。
この記事の考え方は、ちょっと強引かも知れない。
旅人とジャーナリストは違うし、NGOや国際協力で動く人とは違うから。
それは分かっていても、書きたかったのは、誰だって、危険だと分かっている。
でも、そこにある何かを見たい・助けたい・伝えたいと言う想いは、大切な感情だと思ったから。
遠い異国の地にはなってしまったけれど、湯川さんも後藤さんも今はただ、安らかに眠って欲しい。
そして、今、遠い異国の地を旅する人・旅しようとしている人には、家に帰って来てこそ、旅なのだと言う想いを強くして抱いて欲しい、とも。
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