*展示会内は写真撮影不可なため展示会の様子の写真はありません。また会期終了が迫っています
『山があるから』
そこまで山に興味がある訳じゃない。
寧ろ、興味がないに近い。
だから山に登る訳でもない。
だけれども、福井県ふるさと文学館で開催されている『山があるから』に行って来ました。
深田久弥氏の没後50年を迎えるにあたっての記念展示。
深田久弥氏と言えば、『日本百名山』で知られている登山家・随筆/小説家である。
『日本百名山』。
山の品格。
山の歴史。
個性のある山。
この3つを基準にして深田本人が登頂したコトのある山を100に絞って選んだと言う作品。
「日本百名山」と言うのは、その後、ブームにもなったし、今でもそのブームは続いているように思う。
100と区切りの良い数字に絞り込んだコト。
全てに登り切れそうで登るのは難しい感じがある数と言うのも、日本人的にウケたのかも知れない。
作品的にも、短い話が詰まっていて、それでいて山の情景が浮かぶような文体も魅力的なのは確か。
だが、ブームになったコトで、一種の観光となり、山の品格が落ちて行くと言うのは、皮肉なコトなのかも知れないけれど。
没後50年。
ただ深田久弥氏自身は、現在の石川県加賀市出身。
なので、没後に設けられた「深田久弥 山の文化館」も加賀市にある訳だし、亡くなった場所も福井ではない。
ただ現在の藤島高校に通っていたコトなどもアリ、福井も地元と言う意識があったようで、今回の福井での展示会の開催と言う形に。
ってか、藤島高校から大聖寺まで歩いて帰ったコトが、最初の1歩のようだが、そこそこ距離があるぞ…
私的なベスト100なのに、人気を集めたのは、なぜか
福井駅から無料のバスに乗って福井ふるさと文学館へ(バスは0・30分に駅東口を発車)。
県立図書館に併設されたふるさと文学館。
かなりモダンな建築。
建物の中には飲食ができるお店もあるので、ホントに丸1日にいられるような場所。
中庭とかがあるほか、外の光がしっかりと入るのに加え、天井も高くて、ホント、ずっと本を読んでいられるような図書館の中に、文学館がある。
深田久弥氏の略歴などの話。
百名山。
だけれども、個人的にはやっぱりあまり百名山には惹かれなかったかな。
結局、旅と同じ。
ベスト100なんて作る必要はないんですよ。
いや、深田久弥氏の百名山だって、彼の中での百名山ですからね。
そう言う意味では私的な“ベスト100”なのに、ここまでブームになったのは凄いと思うけれど。
逆に、どうしてあくまでも私的な“ベスト100”なのに、ブームになり、ここまでその人気が持続しているのだろうか…と言う点は、興味深い所ではあるけれども。
でも、寝たきり状態だった妻。
その妻が書いた作品を焼き直して出版したり、その妻を差し置いて不倫に走った挙句、その相手と子供を設けたり…と、何気に奔放な部分は、展示の上ではカットされているのは気になるけれど。
ま、山とは関係のない部分だしね。
そして、作品と個人とはまた別ですしね。
山と生と死と
深田久弥氏の没後50年の展示会。
個人的には、“山”と関係のない部分の展示である中央アジア4ヶ月間の旅から出した絵ハガキなんかが、とても興味深かったり(どうでも良いけれど、併設の図書館に旅行人が刊行していた『旅行人ノート|アジア横断』が置いてあり、つい手に取ってしまった…)。
1966年の旅と言うから、まだまだ海外への渡航が一般的とは言えない時代である。
息子に対しての絵ハガキ。
作家として…でも登山家としてでもなく、素の深田久弥氏がそこにはある気がした。
他にも『風雪のビバーク』で知られる松濤明氏の最後の手帳だとかの展示があったりなんかして、個人的にはそちらの方が惹かれた。
生々しさ。
人間の生の最後での生々しさ。
死に向かう時間の中で、何を思い、何を考えていたのか…
山と生と死。
それは今も昔も恐らく隣り合わせのままなのだろう…とか思っていたら、今度は石川直樹氏が出てくる。
Pole to Poleから好んで作品を読んだりしている石川直樹氏。
この時代になって来ると、文章や写真だけでなく、動画としても出て来るので、一気に身近な存在になる感じがするけれども、15分間の動画を見ていると、壮大な自然に惹かれるけれど、同時に、激しく人を拒絶している感じがしてしまう。
山を登る。
『山があるから』と題された今回の展示。
結局のところ、人を拒絶するかのような存在の山に挑むと言うコトが、人を山に向かわせる大きな理由なのだろうか…
やっぱり1度か2度は登ってみないと、その感覚は分からないよなぁ…と、改めて。
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