しばらくブログを放置してしまいました。
放置プレイ。
いや、好きな訳じゃないけれども、1回、気持ちが乗らなくなると、無理に書く必要もない訳で(そもそも、旅行記自体が、全然リアルタイムじゃないから)、ちょっと放置したくなるのです。
Pray For…
フランスで多発テロがあった。
それに伴って、多くの犠牲者が出た。
Facebookの写真が、いきなりトリコロールに変わって行った。
こうしてSNSで追悼の意を表せる時代。
そう言えば、先の震災の時も、“Pray for Japan”と言う表記をSNSの自分の顔写真の所に付け加えてくれていた人が、たくさんいた。
世界は、こうして1つのニュースで繋がれる。
1つのニュースが、瞬く間に世界各地に拡散して行き、それぞれの国の、それぞれの立場で共感されたり、反感を覚えたりする時代になったと言うべきなのだろう。
それに対して、パキスタンやアフガニスタン、シリアなど、日常的にテロが起きている地域のコトは、顧みられないと言う指摘も、結構な数が出ていた。
人の命に重たさも軽さもない。
重要度に差はない。
そのハズなのに、情報の拡散するチカラは、違っていたりするのが、如実に分かってしまう。
内戦状態にあるシリアの話は、それでもまだ聞こえてくる。
でも、イエメンは?
今のリビアの情勢は?
日本にいて、注意深く探しても、その動向は、なかなか手に入るモノではない。
時を同じくして、西アフリカのマリの首都・バマコの高級ホテルでも襲撃事件があった。
これは日本でも取り上げられたけれども、それに対しての論評がある訳でもなく、Facebookの顔写真がマリの国旗の色になるコトもなかった。
でも、正直な所、どうでもいい感じがある。
SNSで国旗を掲げて追悼の意を表しているだけ。
表していないから追悼の意を掲げていない訳でもないから。
要するに、どうしたらこのこんがらがった糸を解けるのかと言うコト。
大切なのは、そこだ。
こんな世の中に、どうしてなったのだろう。
そこのキーになっているのは、何処なのだろう。
本質を変えなければ、何も変わらないと言うコト。
それが大事なのに、誰もそれを変える動きを見せないと言うコト。
単に、テロ組織を撲滅しても、また新しいテロ組織と憎悪を生むだけなのに。
違いが生むモノ
民族の違い。
宗教の違い。
国の違い。
育ち方の違い。
旅をして、色々な違いを見てきた。
それなのに、未だにその違いが生む負の連鎖の根本が分からない。
何処に解決策があるのかも、分からない。
何を見てきたんだろうな…なんて、つい思ってしまう。
そして、そんな自分に出来るコトって、何なんだろう…とも。
何かしたい。
でも、そんなチカラも知恵もナイ。
そして、Facebookの写真がトリコロールに変わって行く…のか。
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