バンコク伊勢丹、閉店まであと僅か!

徳島の「そごう」が月末に閉店になり、徳島県から百貨店が消えた。

滋賀の大津の「西武」も閉店になると、県庁所在地である大津市から百貨店が消えた(ただ最寄りは膳所だったけれど)。

さらに全国各地の百貨店が閉店つづき。
今年だけでも見ても、新潟の三越・広島アルパークの天満屋・福島の中合…
続々と閉店が発表・実施されていて、やっぱり寂しさを感じますね。

バンコク日系百貨店は、幾つある?

そして8月末で閉店になる百貨店がもう1つ。

それが、「バンコク伊勢丹」である。

バンコクには、かつて日系の百貨店が幾つかあった訳ですが(今でもあるけれど)、まずはその歴史をちょっとだけ見てみる。

1964年12月にまず大丸がラーチャダムリに進出。

さすがにボクはこの時代を知りませんが、場所的には伊勢丹の向かいのBigCのある辺りだったそうで。

1984年に開店した「アマリンそごう」は、そごうとしても海外1号店。
1985年に「バンコク東急」がMBKセンターに開店。

1990年に「エラワンそごう」が「アマリンそごう」の隣に開店(但し、運営会社は異なり、アマリンが庶民派・エラワンが高級志向)。

今回、閉店になる「バンコク伊勢丹」は1992年の開業なので、「大丸」「そごう」「東急」に続く4社目の進出と言うコトになります。
何気に4社も進出しているのは、さすがバンコクって感じですね。

1993年には、ラチャダーに「バンコク東急ラチャダー」が、2号店として開店。
1998年に大丸が「ラーチャダムリ―」本店を閉店し、郊外の「セーリーセンター」に移転。

この後、しばらく日系百貨店のバンコク進出はなかったが、2015年にバンコク東急がパラダイスパークに小規模ながら「バンコク東急パラダイスパーク」を開店。

2018年には高島屋が「サイアム高島屋」を開店。

バンコクの日系百貨店を紐解くと、こんな感じ。

が、この中で、今も残っているのは、MBKの「バンコク東急」と、2018年に出来たばかりの「サイアム高島屋」。

そして、今月に閉店する「バンコク伊勢丹」の3店舗だけである。

「バンコク東急パラダイスパーク」なんて、できたのが2015年で、閉店が2019年1月。

ホントにあっと言う間に撤退した感じである(因みに、元々、このパラダイスパークは、大丸が移転したセーリー・センターがあった場所だったりします)。

生まれては消え。
消えては生まれて。

そんな感じがしますが、ボクが初めてタイのバンコクに1人旅をした時は、まだそごうが存命だったので、未だに「エラワン」の前に行くと、「エラワンそごう」と思ったりしますが、それが分かるのも、アラフォーまでぐらいなのでしょうかね。

かつては旅行者の行きつけだった…

で、「バンコク伊勢丹」。

言わずと知れたセントラルワールドの一角を占める訳ですが、契約更新の交渉で条件面で折り合えず、29年目にして撤退と言う流れだそうです。

別に赤字だった訳ではないモノの、2019年の営業利益は2,500万円(前年度比70%減)。

家賃が高騰しているエリアなだけに、賃料の値上げが即座に赤字転落を意味していたと言うコトだったのでしょうね。

日本製品が数多く売られており、近年は、そこまで人気があったとは思えないけれど、しっかり黒字を出していたと言うのは、それだけお得意様を確保していたと言うコトなのでしょう。

が、その分、お値段も高めで、立ち寄るけれど何も買えないと言うバンコクのボクがいましたけれど(そもそも日本人旅行者が、日系百貨店で買い物をする理由もあまりないけれど)。

でも、紀伊国屋書店だけは、良く行ったなぁ…と。

アラフォー以上の旅人ならば、なんとなく経験がある人も多いかと思うけれど、単に、涼みに。

カオサンから赤の2番バスに揺られて、ただ涼みに(+立ち読み)。

時々、日本ではほぼ絶版になっている様な本を見つけるけれど、そもそもバンコクでは日本書は、洋書扱いだからお値段も高く、結局、フリーペーパーの「Daco」だけ持って帰って来る…みたいな。

当時はエアコンが入っている安宿なんてほぼなかったし、カフェだって気軽にいろんな場所にあった訳でもなかったから、度々、行っていたけれど、昨今は、さすがに訪れる機会も激減していたなぁ…と。

いや、もう旅人で伊勢丹に寄る人も、いないでしょうが。
別にカフェだって色々とあるしね、バンコクには。

旧態依然と日本人客のみを見ていた

バンコクの中心部のショッピングセンターが、次々と出来、しかもどれも斬新な設計で、行くだけでも楽しめるのに対して、近年は、旧態依然としたままだった感じの「バンコク伊勢丹」。

下手に黒字が出ていたコトも、なかなか新しい投資に踏み切れなかったのかも知れないけれど、あくまでも“日系百貨店”として生まれ、最後まで突き通した感じで、別にバンコク化する訳でもなかったのもあるのかな…と。

場所的には一等地だっただけに、もっとやりようがあった気はするけれど。

でも、また1つ、知っているバンコクがなくなる。

こうして街は変わって行く。

そう言うモノだとしても、やっぱり寂しい感じは残る。
あの場所に、「伊勢丹」がなくなる訳だから。

何気に「バンコク伊勢丹」前の歩道橋から見る渋滞や車のネオンが好きだったのだけれど、それを見る機会は、今後、さらに減るんだろうなぁ…

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