プミポン国王死去、その後。

服喪期間中にソンクラーン

日本では“プミポン国王”で知られるラーマ9世が、崩御されたのは、2016年10月13日。

満88歳。

バンコクの何処を歩いていても、国王の肖像画を見るコトが出来たし、長い在位の期間は、激動の時代であったのにもかかわらず、広く国民から慕われている存在であった国王だったのは、間違いがナイと思う。

タイ・プミポン国王、死去 | now here,no where

日本に戻って来ています。 ちょうど1週間が過ぎ去ったのですが、すぐにいろいろと動かなくちゃ、冬が来るなぁ…なんて思っていたのに、日本に帰って来ただけで重たい腰が軽くなる訳でもなく、ついまったりしてしまっている今日この頃です。 なら、さっさとブログを書きなさい…と言う話なんでしょうが、旅前からパソコンが絶不調。 それをようやく直したと思ったら、今度は外付けのHDDがエラー表示。 …

崩御の後、長男(第2子)であったワチラーロンコーンが、ラーマ10世として即位をした訳だけれども、公務員は1年間、喪に服し、タイ関連のホームページも色を抑えて白黒がベースのモノに差し替えられ、タイ全体的に服喪モードに包まれるコトになった。

さて、そんな中での、ソンクラーン。

最初は、服喪期間であるコトから、ソンクラーンも休止と言う噂すら漂っていたけれども、実際は、水掛けを含めて実施された訳ですが、実際、街中はどうだったのだろう…と、ちょっとぶらぶらと歩いてみました。

街中はチラホラと喪に服しているのが分かる

日本の仏教だと、基本的に、49日法要と言うコトで、49日間と言うのが1つの大きな区切りになるのかと思うのですが、タイの仏教の場合は、100日法要が1つの大きな節目。

なので、100日に相当する2017年1月20日~21日に掛けては大々的な法要が行われたと言う。

ならば、その100日法要も終了し、完全に喪が明けたのかと言えば、微妙な感じが残るかな…と言う気がしました。

寺院には、喪に服しているコトを表す黒色の幕がこうして掲げられていたり、ちょっとしたお店の店先にも、大なり小なりでそうしたモノがあったり…

確かに表向きは活気を取り戻していて、こうした幕がなければ、もう喪に服しているのすら分からない感じもある。

恐らく、テレビやイベントなども、通常と同じような状態に戻っていると思われる訳だし、少なくとも、観光をしたり、日常レベルでは、何1つ支障がない状態になっている。

まぁ…

そりゃ、そうだよね。

崩御されてから約半年以上が過ぎているのだから、さすがに日常生活は取り戻しているよね…

ただBTSに乗って移動していても、黒系の服を着ている人はちらほらと。

公務員の服喪期間は1年間なので、もしかすると、公務員の方々だったのかも知れないし、たまたま黒い服なだけだったのかも知れないけれども、やっぱり割合としては、そこまで多い訳じゃないけれども、十分に目立つレベルだったかな、と。

ただ全身黒色と言う訳じゃなくて、上半身のシャツが黒と言う人の割合が格段に多い感じではありましたけれどもね。

あと、さりげなく喪章を付けている人もチラホラといました。

そして、まだまだプミポン国王の肖像画が街中でも見受けられ、しっかりと献花が為されている状態。

プミポン国王の慕われ方と言うのは、やっぱり半端じゃないんだな。

改めて、そう思う。

日本だったら…
他の国だったら…

どれぐらいの間で、喪に服しているのすら分からなくなる様な日常に戻るんだろう…なんて、そんな不謹慎なコトすら思ってしまうぐらいでした。

これが南のビーチリゾートの方に行けば、また違った感じだったのかも知れない。

でも、少なくとも、バンコクはまだ喪の真っ最中なんだな…と、改めて思う。

そうした中でのソンクラーン。
ハメは外している人ばかりでしたが、改めて、開催されたコトを感謝しなければ…と。




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