自分の感性のなさに気が付くブエノスアイレス
レコレータ墓地から歩いて行けると言うコトで、そのまま国立美術館へと行ってみました。
歩いてホントに5分ぐらいの距離。
しかも、ココ、無料なんですよね。
なので、スルッと中に入ってみたのですが、思ったよりも広い。
いや、かなり広い。
しかも展示品の数がやたらと多い。
1つ、大きな作品がデーンッとある感じじゃなくて、1つ1つ、大きさ的にはそこまで大きくはないモノもちゃんと収蔵・展示されている。
ホントに1つ1つ見入っていたら、1日仕事になってしまう訳ですが…
何を意味しているのか、さっぱり~(´▽`*)。
特に2階の現在美術のエリアに入ると、もう皆目見当も付かない状態。
ってか、“芸術は爆発だ”とはよく言ったモノで、爆発しすぎていて、凡人平民のボクの感性は全く揺らされず。
ってか、どう見ても、子供が書いたとか夏休みの図工の宿題の様にしか見えなかったりする。
しかも、子供が一生懸命書いたと言うよりも、子供の落書きにしか見えなかったりするから、よっぽど感性がナイんだね、オレ。
そろそろ今の感覚に合った絵画とか、出てこんのかね?とすら思ってしまったし、単に画家や美術家の自己満足な世界になりつつあるのでは…とも。
もっと大衆に寄り添った絵画や芸術があってもいいのに…と思ったけれども、それが日本ではマンガになっちゃったのかしら?
なーんてね。
そして、近代までの絵画にしても、思ったのは、2つ。
まず1つ目が、どうして裸体ばかり?と。
そんなに裸が書きたいんか?!と突っ込みたくもなるけれど、服でごまかせない分、画家の画力が求められるのかな?そして、日本で言う所の、春画に当たるモノって、西洋にはないんだろうか?
上の写真なんて、裸なのに、蛇に襲われてますモン。
どんなシチュエーションよ…
そして、2つ目が、宗教が素材になっているモノは、意味が分かりそうで、やっぱり分からない。
これは下地がナイとやっぱり厳しいと思うけれど、そもそも表のテーマすら分からんのだから、裏に秘められた何かがあったとしても、さっぱりさっぱり。
まぁ、それってブエノスアイレスに限った話でも何でもないんだけれど。
ってか、そもそも、それならば何故行ったの?と言われそうですが、勿論、墓地から近いと言うのと、入場料がタダと言う所に惹かれただけです。
そんな芸術が分かる様なハイセンスな感性は持ち歩いていないので、そもそもの興味であるハズがない。
でも訪れている人は熱心に見ているんだよなぁ…
何を見ているんだろう。
何かを空想しているのかな?
個人的には、何だかみんな、分っているフリをするためだけに、熱心に見ていると言う気にしかならなかったけれども。
そう言えば、この国立美術館とレコレータ墓地の間にある聖母ピラール聖堂にあったイエス。
お疲れじゃない?
いや、そうとしか見えなかった。
まぁ、疲れるよね、そりゃ。
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