ラパスの最終日は…
実質的なラパス滞在最終日。
最後だから、どうしようかなぁ…なんて思ったのですが、街を歩きまわりつつ、お世話になった人に挨拶をしていく。
でも、やっぱり最後は、ラパスに到着してすぐに会った昔のラパスの日本人宿の管理人だったロシオと、会いたいな…と言う気持ちに。
ラパスで10年ぶりの再会 | now here,no where
ラパスでまずしたコト。 それは10年前と12年前にお世話になっていた宿(アロハミエント・サンタクルス)の管理人のロシオと会うコトだった。 残念ながら、その宿は、日本人をメインに流行っていたのだけれども、契約更新が上手く行かなくて撤退してしまったけれども、SNSを通じて、管理人とは、こっそりと連絡を取っていたので。 待ち合わせは、ムリリョ広場。 …
宿からも程近い彼女の家の前で待ち合わせをして…
さて…
どうする。
ってな流れになった訳だけれども、ちょうどその日は、“Mar Para Bolivia”の日で、ラパスの街でも随所で何かしらが行われていたので、そちらに向かってみるコトに。
Mar Para Bolivia。
これがまた、何人かの人に聞いたのですが、ボクのスペイン語能力ではチンプンカンプン(笑)。
多分、推測するに、3月23日がボリビアの海の日なので、それに纏わる期間になるのかと。
因みにボリビアに現在、海は無いのですが、かつては現在のチリ領であるアントファガスタなどは、ボリビア領だったのですが、チリ対ペルー・ボリビアの太平洋戦争に負けたコトで、内陸国家に。
もし、天然資源も豊かなこのエリアが、ボリビア領だったら、今頃、もう少しはボリビアも発展していたに違いない訳ですが、それにしても、ボリビアって、戦争に負けすぎなんですよね。チリだけじゃなくて、ブラジル(2回)、パラグアイにも負けて、その都度、領土が小さくなってますからね。
って、そんな海の日にまつわるイベントなんですが、何故かサンフランシスコ寺院の前にはステージが組まれていたので、ビールを片手に参戦。
ってか、敗北した戦いに関する日にしては、悲壮感がナイのは、何故なのやら…
でも、そこそこ名の知れた歌手が出ていたり。
出来れば、日本人もいるアナタボリビアとか、ロスカルカスとかが出てくれると嬉しかったんですけれどもね。
いや、せめて最後だし、フォルクローレだと嬉しかったのですが、そんないい話にはならず…
ビールを片手に、そんなステージを見つつ、まったり(*´ω`)。
明日は移動か…と思うと、やっぱりちょっと寂しさがこみあげてくる。
次、いつ、この街に来れるんだろう…なんて、思ったりしていたら、ロシオも同じコトを思っていたみたい。
“10年後、かな”
ふと、何の確信もなく言ってみた。
10年後。
その頃には、アラフォーからアラフィフになっている。
そんな時でも、旅人でいられるんだろうか。
でも、いつかまた舞い戻って来る様な気がした。
そんなアラフィフでいたいな…とも思ったし。
ここからまた10年が過ぎたら、彼女の子供たちも、一番下の次女以外は、きっと巣立っているんだと思う。
ある程度、子育てに一息ついた頃合いになるんだろう。
そんな年月が過ぎて、また会えたら、今度は、どんな会話をするんだろう。
ずっと頭の中を、そんなコトがリフレインしていた。
旅。
結局の所、長く滞在した所で、旅人は旅人でしかなく、去る人間だ。
いつかは去ってしまう訳だけれども、出会いがあって、別れがあって、またいつの日かで会えるコトが出来たら、それは旅人冥利に尽きる感じがした。
再びの出会い。
そんな旅が出来るのも、自分が歳を重ねたからなんだと思う。
アラフォーのそんな旅。
10代でも20代でもナイ、旅の形がある様な気がした夜だった。
【今日の気分】
YUKI “ハローグッバイ”
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“ココロに唄う“1本道”をゆらりゆらりと歩いていこう さよなら明日また会えるよう指切りをして!
私が見てきたすべてのこと むだじゃないよと君が言ってほしい
人は誰かとかかわるハローグッバイちから漲るよわなわなと
巡り逢うよ ベイビイ”
ロシオと別れてから、宿までの坂道を歩きながら、聴いていたら、もう涙がブオーッと出て来てしまいました。
なんでか分からないけれども。
ハローにグッバイ。旅に出会いと別れは付きまとうけれども、また次に進みたくなる曲。
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