ゲバラ一色のゲバラ邸宅
CASA BLANCAから小高い丘を登ると、そこにあるのが、ゲバラの邸宅。
最初に思ったのは、予想より小さいかな…と言う所。
そして、港の向こう側に旧市街が一望出来ると言う所。
赤い文字で大きく“Che”と書かれた邸宅は、キレイに整備されていると言う印象。
早速、中に入ってみると、そこには執務室が残されていたり、ゲバラが実際に使っていたと言う品物が陳列されていたり、写真やゲバラの肖像画があったり…と、そこまで広くはナイ邸内だけれども、全部がゲバラ。
まぁ…
ゲバラの邸宅なんだから、当たり前なんだけれど。
それにしても、ゲバラが使用していた品物の中には、日本製のモノもあったりして(カメラとかが日本製品でした)、それだけでちょっと親近感が沸いてしまうのは、日本を離れて旅に出ているからなのか…
でも、ゲバラ自身は、どう思っているんだろう。
キューバ出身ではなく、アルゼンチン出身のゲバラ。
キューバ革命を成就させた後も、アフリカのコンゴに行き、その後、南米のボリビアに赴き、そこで最期を迎える。
まさに、“革命家”だった訳だけれども、彼の母国と呼べる場所は、何処だったのだろう。
理想が高く、キューバ以降の国では、決して順風満帆ではなかったハズ。
その理想主義者が思い描いていたモノに、今のキューバはどれだけ近付いているのだろう。
アメリカからの距離が目と鼻の先でいながら、経済制裁を受け、決して豊かな状況ではない。
それでいて、東西冷戦が終結して、ソビエト連邦が崩壊し、今や“壮大な理想への実験だった”とも思える社会主義を、今も追い求めていて、その体制を維持しているキューバ。
全ての人が平等である社会主義の御旗にいたのならば、どうして人との接触が薄れる場所に住んだのだろう。
このCASA BLANCAの場所を選んだのは、どんな意味があるのだろう(確かに邸宅からの眺めは素晴らしいのだけれど)。
何だか、ふと、そんなコトを思ってしまう。
偉大な革命家。
その功績は間違いがナイ。
でも、それにしては、このそこまで広くない邸宅に1時間以上いたのだけれども、他に観光客が来なくて、ずっと独占状態。
お陰で、静かにずっとゲバラを見ていられたのだけれど、世界的に見ると、ゲバラの人気や評価ってどうなっているんだろう…とも。第3世界の国々で人気があるのは、理解が出来るんだけれど、日本のゲバラ熱と言うのは、結構、異常なんだとは思うけれどなぁ…
コメントを残す