デカすぎやろ、この墓
宿で同じドミにいるドイツ人と、“今日、何するの~?”と言う話になったので、“墓、行ってくる”と答えてみたら、“それはいいね”なんて言われた。
それは日本人同志だと、あまりナイ感覚なんだと思う。
少なくとも、他人の墓を見に行く習慣はあまりナイと思うし(東照宮とかぐらい??)。
まぁ、ただ単にちょうどいいルートで行けそうだった…と言うだけなんだけれど(前回の本屋から歩いて行けるので)。
エビータが眠っているレコレータ墓地。
そう言えば、海外で墓地に行くのも初めてに近いかも。
英語のガイドブックのロンプラには、結構、墓地が地図に記載されていたりするのだけれども、全然、行こうとも思わなかった。
もっと大きな“廟”に行くコトはあっても、墓地に行く気持ちにはなかなかならないので。
でも、行ってみてびっくり。
完全に“観光地やん、コレ”。
そして、この墓たちは、一体、何?
キレイを通り越して、建物や神殿の様にデコレーションが為されていて、1つとして他と同じスタイルがない。
中にステンドグラスもあったりする墓がある。
そしてその大きさ。
ってか、下手をしたら、日本の狭~い一人暮らしの我が家よりも大きいのでは?とすら思えてしまう墓。
もう…
何ですの、コレ。
訳分からん。
そこはやっぱり日本人と海外の人の、信仰の違いと言うのもあるのでしょう。
その人の生を全うしたと言っても、輪廻と言う考えがある日本からアジアに掛けての人々と、それがナイ人々とでは、墓に対する思いが違うのかも。
だから、全然、ピンと来ず。
愛され続けるエビータ
それを宿に戻って、ドイツ人に、“理解出来んかった”とだけ伝えたら、やっぱり怪訝な顔されたけれど。
んで、それを頑張って英語で説明してみたけれども、やっぱり“輪廻”の部分はさっぱり説明出来なくて、“そもそも墓にあんなにデコレーションが必要か?あの大きさは何なんだ?”と言う外観にまつわる話に終始せざるを得なかった。
英語でも何語でも、これだけ旅をしているのに、一向に、英語力が上達しない自分自身が情けなくもある。
まぁ、日本語ですら説明しにくい話ではあるけれど。
でも、エビータのお墓だけは、未だに花やお供え物がチラホラと。
時を越えて、今もなお、愛されている存在。
ココロの何処かにある存在。
日本で言えば、誰に当たるのだろう…と考えてみたけれども、パッと思い浮かばなかった。
だけれど、そのエビータの墓は、結構、質素なんだよなぁ…
【今日の気分】
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SEKAI NO OWARIの“幻の命”。
この歌が何を意味している曲か、特定出来る訳じゃないけれど、単純に考えると妊娠から中絶に掛けての曲に聴こえる訳です。
実体験かどうかは分からないけれども、終わりを受け入れるコトは難しい。
それはどんなコトでも同じ。
今までの生活に終わりを打つコトは難しい。
習慣を変えると言うのは、難しい。
旅はいつか終わる。
その時、ボクはその終わりを受け入れられるのだろうか…
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