インド・バラナシ、久美子ハウスに幕

82年から営業の老舗日本人宿

インド・バラナシ。
バックパッカーに知られた「久美子ハウス」が幕を下ろすとのコト。

1982年に久美子さんが、ガンジス川に面している3階建ての自宅を回収して、安宿としてスタートさせたのが、きっかけ。

ご結婚してインドに渡られた訳だけれども、結婚自体はもう少し前。
でも当時は、今よりも治安が宜しくなく、旦那さまが心配され、基本的には家から出して貰えなかったと言う話だが、宿を開業されてからは、日本のバックパッカーの人気を集めたコトもあり、その名前は絶大だったように思う。

久美子さんは、このガンガーが見える家に住み続けるコトを願っていたけれども、既に娘夫婦の住む南インドに移住済み。
経営権などは息子に渡っていたけれども、今回、その経営権などを他の方に売り、「久美子ハウス」の歴史に幕を下ろすと言うコトになった。

今後は、改装工事などを行った後、宿として再開業されると言う話もあるが、「久美子ハウス」の名前が残るのかどうかは不明。
そして仮に名前が残ったところで、もはや、「久美子ハウス」とは全く違うモノになるのは、確実ではある。

1代で終わる日本人宿

ちょうど先日、インドで日本人宿を経営している「サンタナロッジ」のオーナーとお話をする機会があった。

「サンタナロッジ」は1952年創業と言うから、「久美子ハウス」よりも全然古く、恐らく世界最古の現存する日本人宿だとは思うが、日本人宿と言うのは、どれだけ人気を博していても、ほぼ1代限りで終わってしまうケースが多い。

日本人宿には2つのタイプがあり、1つ目は日本人(もしくは嫁がれたり移住された日本人)が経営されているパターン。
そしてもう1つは、現地の人が経営しているが、単に日本人が多く集まる宿と言うパターン。

1つ目のパターンでも、創業時は移住された日本人による経営であったとしても、代が変わると、それは日系2世であり、もう日本人による経営ではなくなる(もちろん、国籍を日本にされるパターンもあるのでしょうが)。
そうなると、単に現地の人が経営している宿と言うコトになる。

日系2世となると、多少なりに日本人が好みそうなサービスではなくなっていき、日本人特有の感性が理解される訳でもなくなっていく訳だろうしなぁ…と言う感じ。

だからこそ1代で終わるべきなのかもなぁ…とも、思ってしまったり。

寧ろ、国籍自体はインドだけれども、オーナー自身が日本語も話せる「サンタナロッジ」の方がレアなケースで(他にも事業をされていて、一族で経営をされていると言うのも大きいのでしょうが)。

そもそも、今のご時世で日本人宿に行く必要がどれだけあるのか。
日本人宿にどれだけの需要があるのか…とは思う。

「久美子ハウス」は、日本人宿と言うのに加え、そのロケーションと言う特性があったけれども、昔のように宿で情報収集をする必要もなく、インターネットで何でも調べられる時代。

たまには日本人に会いたい…と言う人も多いだろうが、その日本人自体が、海外旅に出なくなって久しく、ピークシーズンならば日本人宿にも人がいるけれど、オフシーズンになると閑古鳥と言うような宿もある。

逆に、そう言った時代になっても「久美子ハウス」が存在してきたと言うコト自体、特筆されるべきなのかもしれないけれど。

これからの日本人宿はどうなるのやら…

ホントに昔からある日本人宿なだけに、実際、久美子さんが南インドに移られてから時間も過ぎていますが、なくなると言うのは、ショックな話。

コロナ禍だけが問題だった訳ではないのでしょうが、日本人宿も結構、閉まったなぁ…と言う印象。

昔から長いコト、営んでいるところほど、乗り切っている感じはするけれど、特にアジア圏の日本人宿が激減した感じがある。

海外旅行に慣れていなくても行きやすく、慣れていてもハブになるタイのバンコクだって今、営業中なのは、恐らく2軒だけ。

そう言う時代じゃなくなったのか。
それともまた違う話なのかは分からない。

根強い需要はあるのだろう。
初めての1人旅であったり、初めての国だったりすれば、やはりあるのとナイのとでは、違う訳で。

今後、また日本人宿と言うスタイルが増えて行くのかどうかは分からない。

だけれども、また一つ、名の知れた宿が消えていくのだけは間違いなさそう。

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