バスで2時間のポンディシェリーへ
マハバリプラムからバスでポンディシェリー(プドゥチェリー)へと移動。
バス停は、街中ではなく、国道沿いからで、ちょっと不便だけれども、便数は案外多くて、1本やり過ごして、確実に座れそうなバスに乗車して、約2時間。
ポンディシェリーに到着。
“ポンディシェリー”。
何だか随分とかわいい名前の街だ。
“ポンディ”だけでもかわいらしく感じられるのに、その後に、“シェリー”と付くのが、またかわいさを倍増させる節があると思う。
とてもインドの町の名前とは思えないし、他の町の名前とも違う感じがする。
まぁ、それもそのハズだ。
そもそもポンディシェリーは、インドなのに、元・フランス領だった町。
なのでこの“ポンディシェリー”はフランス語読み。
英語読みだと、“ポンディチェリー”になり、現地だと“ポンディー”と呼ばれる町。
まぁ、フランス語でも英語読みでも、どちらにせよインドぽっくはない。
とは言っても、フランス領だったのは、ホントに近隣のごく僅かな土地だけ。
だけれども未だに州の境としてその名残がある。
元・フランス領のポンディシェリーの周りは、チェンナイを就寝としたタミルナード州なのだけれども、ポンディシェリーだけは未だに連邦の直轄領であるポンディシェリー連邦直轄領。
そして、その両者の境界はかなり複雑なモノで、あちこちに飛び地があったりするらしいです(詳しくはこちらを参照)。
フランスらしいって、何なんだろう…
さて、ポンディシェリー(以下、ポンディ)。
中心部に南北の運河が流れていて、その運河を境に、かつてはフランス人居住区と、インド人居住区とに分けられていたらしいです。
その運河は、今も残っているのですが、“運河”と言えば聞こえが良いのですが、単なるドブと化している気はします。
運河を境に居住区を分ける。
イギリスにせよ、フランスにせよ、インドでやっていたコトはどちらの国も変わりがない様な感じですね。
でも、確かに旧フランス人居住区に入ると、雰囲気が変わります。
そもそも道の名前もすらも、フランス語読みの“Rua”が付く道がほとんどになります。
町の雰囲気だって、僅かな面積のエリアですが、ガラリと変わります。
フランス。
それがフランス風と言われれば、そうなのでしょう。
だけれども、よく考えなくてもボク自身、フランスには行ったコトがナイので良く分かっていませんけれどもね(厳密に言えば、シャルルドゴール空港だけは使ったコトがあるのですけれど)。
だから、“フランスっぽい”と言われても、何がどう“フランスっぽい”のかは、さっぱり分からなかったりしますけれどもね。
ただ何かが違う。
そして同じように、元フランス領であるベトナムのホイアンの空気感を感じたりはしますけれども(ホイアンの旅の話はココあたりを参照)。
ちょっとカラフルな建物。
それでいて建物自体は、古く。
でも、看板1つを見てみても、何だかとてもオシャレに見えてしまう。
それが朽ち果てそうでも、どれだけ古びていても…だ。
やっぱり“フランス”は、カッコいい。
“フランス”はオシャレ。
そんな固定観念があるだけなのかも知れないけれど。
ま、それぐらいなんですけれどもん、ポンディ。
独特なアーシュラムの拠点でもあり、提唱者であるオーロビンドのお墓もあるし、その後継者であるマザーが提唱して作られた理想都市であるオーロヴィルも、このポンディから近い場所にあって、観光客がこのポンディに来たら、多くの人が目指す場所なんだとは思うけれど、残念ながら、全然、興味がなく…
そうなると、もう町をだらだらと歩くぐらいしか、するコトがナイような町ではある。
でも、歩きやすい町。
車が町の規模の割に少なく感じると言うのもあるのかも(とは言っても、車はやっぱりうるさく走っているし、運転自体はやや粗い気がするけれど)。
それにしても、インドの中のフランス。
まぁ、ゴアとかも元々は、イギリス領ではない訳ですが。
でも、何か良い響き。
インドなのに、フランス。
“インド”と言う名前が持っているイメージを、打ち砕いてしまうフランスって、なんかスゴイ(単に、フランスに行ったコトがないから、フランスに対する妄想があるだけなのかも知れないけれど)。
そんなポンディ。
ちょっとだけ日数を掛けて、のんびりしてみるコトにしました。
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