サバサンドと『深夜特急』とイスタンブール

イスタンブールと言えば、サバサンド

とりあえずイスタンブールに到着して、宿に直行。

とにかくイスタンブールの滞在時間は丸1日もナイ。

本来、トランジットなので空港泊でも良かったし、トルコ航空はエミレーツ航空などと同様に長時間のトランジット乗客に対して、無料のトランジットホテルサービスを行っていたりするのだけれど、コレだと、そもそもホテルの場所が事前に分からないし、街中をスグに歩きにくいのに加えて市内の中心部とは決して限らなくなっちゃうので、事前に中心部の歩きやすい所に宿を取るコトにした。

チェックインした時点で、もう既に日没後。

とりあえず腹ごしらえをしなくてはいけない…と言うコトで、早速、金角湾に架かっているガラタ橋へと。

トルコと言えば、ケバブ。

すっかり日本でも有名になったモノで、最近は、手軽にケバブも食べられるようになったけれど、ボク的に“イスタンブールと言えば、サバサンド”だった。

サバサンド。

それはやっぱりボクがアラフォー旅人なんだと思う。

アラフォーでバックパックを背負った旅をした人ならば、多くの人が読んだであろう沢木耕太郎・著の『深夜特急』。

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今も読み続けられている紀行作品であるが、この作品の文庫版の第5巻でイスタンブールを旅した所に、こう記されている。

 海の上の小舟では、小魚を焼いたものをそのまま食べさせたり、3枚におろしたものを油で揚げ、それをパンではさんでサンドウィッチにして売っていたりする。

その匂いにつられてガラタ橋製のフィッシュ・フライ・サンドウィッチをひとつ買ってみる。5リラと安くはないが、久しぶりの素朴な魚料理に心が弾んでくる。

イスタンブールの暇人にまじって、ガラタ橋の欄干にもたれながら魚の唐揚げサンドを食べていると、はるか遠くの国に来たはずなのに、アフガニスタンやイランを経て、また日本に近付いているような気がしてきた。ただ、海があると言うだけで、ミカンを買ったと言うだけで、魚を食べたと言うだけで…

沢木耕太郎著・『深夜特急』第5巻(新潮文庫)より

そのイメージが強かった。

いや、そのイメージしかなかった。

トルコ。
イスタンブールと言えば、サバサンド。

そう、イスタンブールに来たからには、とりあえず、食べておかなくては…と、意味もナイ義務感にも駆られながら、ガラタ橋の近くに行ってみると、確かに、小船が浮いていて、船の前にテーブルと椅子が置かれていて、激しく呼び込みがされていて、そこそこの人が集まっていた。

サバサンド、お味は…

その中の1つのお店で、サンドウィッチを注文する。

 

事前に揚げてあるサバをパンに挟むだけ。

レタスと玉ねぎが挟まっているだけ。

 

簡単なサンドウィッチ。

レモンと塩を掛けて食べてみる。

確かに、素朴すぎる程に素朴な味。

『深夜特急』で沢木耕太郎氏が食べたサバサンドも、この味だったのだろうか。

 

きっとその頃から、味は変わっていない様に思う。

いや、変わりようがナイと思うぐらいに簡単な味。

日本から長い時間を掛けて来た訳じゃないから、特段、“日本”を感じるコトはナイけれども、何だか不思議な気がした。

もし、ボクが日本から陸路でずっと旅をしていたら、同じ景色を見て、同じ感覚を覚えたんだろうか。

『深夜特急』で沢木耕太郎が見た風景。
今、ボクが見ている風景。

交わらない時間軸なんだけれども、ココロの奥底でグッと近付いた感があった。

美味しかったかどうかはさておき(作り置きじゃなかったらもっと美味しかったのは間違いない)、イスタンブールでサバサンドを食べられただけで、もう満足だった。

旅をし始めたばかりの頃は、よくそんな気持ちになったけれども(あぁ、ココに泊まっていたんだな…みたいな)、まさかこの年齢になってもまだ、『深夜特急』の世界にいる自分がいるだなんて、思わなかった。

初めて読んだ時から考えると、もうかなりの年月が流れた。
それでも、未だにボクはこの作品から抜け出せないでいるらしい。

やっぱりボクには『深夜特急』は、いつまでも“旅の教科書”なんだろうな、きっと。






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