いざ、砂の大地へ
さて砂漠の続き。
ゴミの散乱地帯を抜けると砂・砂・砂。
以前にマリのトゥンブクトゥに行った時と同じ様な感覚で、街と砂漠がホントに隣り合わせ。
しかも、こちらの方がちゃんと砂丘っぽくなっている。
さすがに街から歩いていける場所だと、そこまで高い砂丘にはなっていないけれども、でも特段低くもない感じで、ちゃんと影が出来る位の高さ。
そしてさらに幾つもの砂の丘が、その先にずっと広がっている。
何処までも… この先、ずっと…
砂の世界が広がっていく。
かつて行ったマリのトゥンブクトゥも、この先にある世界。
随分と昔に行ったチュニジアのトズールとかも、この先に繋がる世界。
全てがこの砂の世界で繋がっていると思うと、それだけでこの広い砂の世界が、グッと自分の身近になるから不思議。
人の力が微力すぎる程に微力になる世界。
そんな砂の大地なのに、見ていると、やっぱり
“砂漠、好きだなぁ”
なんてコトをつい思ってしまいます。
この無限大に広がる自然の風景。 高い砂丘が見えなくても、それは明らかに感じられる風景。
ここから先は、人間にとって生きるには厳しいだけの世界なハズなのに、何処かこの広がる風景に癒される自分がいます。
何だか、日本で縮こまっていた自分って、一体、何やっていたんだろう…と。
勿論、それは旅をする人の感覚だからそう思うのかも知れない。
日本の社会で、何かに流されて、何かに大きなチカラに巻かれて、それでも足掻いていた自分が、ちょっとちっぽけな存在に思える。
実際、ココに住んでいたら、砂漠はそこまで有り難いモノじゃないのかも知れない。
でも、やっぱり一面に広がる砂漠の世界。
それはココロを広くさせてくれます。
夕暮れ時のサハラ砂漠
その後、夕暮れ時にも再訪。
徐々に陰陽が深くなって、少しずつ砂丘の影が強くなって、徐々に砂の色が変わってオレンジの色を加えていく。
風が少しだけ出て来て、砂漠のさらさらとした砂が風に吹かれて行っては模様を描き始める。
遮るモノが何もない中で見るその風景。
子供たちもいつしかこの砂の大地に出て来てははしゃぎ始めている。
ココに住んでいる子供からすれば、この砂漠の大地は、広大なグランドに等しい訳で、走り声・ふざけ合う声、色んな声が響き始める。
コトバにすると、“感動”とか言う通り一辺倒のコトバになるのかも知れないけれども、その2文字だけでは表すコトの出来ない壮大さがココにはあって、今更ながら、
“アフリカに来たなぁ”
と言う気持ちにさせてくれる。
それが通り一辺倒の“アフリカのイメージ”なんだとしても。
そしてまた1日が終わろうとしている。
太陽と共に1日が始まり、太陽と共に1日が終わる。
ここの生活リズムはそんな感じ。
日本にいるとそんなコトが一番、贅沢な話になるけれども、ココではそれが極めて自然な1日のスタイル。
例え、自宅に電気があったとしても。
この風景に出会えて、良かったと。
そして、今日と言う1日が無事に終わって、良かった。
また明日もいい1日になるといいな。
コメントを残す