イエメン・タイズがフーシ派の支配下に

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前回の記事で、チュニジアのバルドー博物館の襲撃事件を取り上げたけれども、イエメンもまた混迷を深めている。
イエメンなんて、ホント、観光スポットが数多く残っている国なだけに、こうしたコトで話題になるのが、とても残念でならないのだけれど、元々、超部族社会な国。
長期政権であったサーレハ大統領退陣後、重しになる力のなくなった結果ではあるので、仕方がないのだろうか…

フーシ派によるタイズ制圧

20日、首都サナアの2か所のモスクで自爆攻撃があったばかりで、このテロでは130人以上が死亡したと見られているが、21日には、シーア派系の武装組織であるフーシ派が、南部にあるタイズを制圧したコトが明らかになっている。

フーシ派は元々、シーア派の一派であるザイード派の武装組織。
イエメンは、897年からザイード派のイマームが、統治をして以来(ズィヤード朝)、1962年の軍事クーデターでイエメン王国が倒れるまで、オスマン帝国やエジプトの支配を受けた時期もあったが、支配を続けてきた国。

フーシ派が2014年9月にサナアに進行し、2015年1月には、事実上のクーデターを成し遂げていたが、元々は、北部~中部に掛けて強い勢力。

今回、支配下に置いたタイズは、南部にもそう遠くはない都市(と言うか、ほぼ南部で、南部の最大主要都市であるアデンまではあと一歩と言う立地である)で、イエメン王国が首都を置いた場所でも知られる街。

随分と、南下をして来た感がある。
それだけ勢力を拡大していると見ればいいのだろうか。

だが、南部や東部に強いスンナ派の部族や、アラビア半島のアルカイーダなどは、一斉に反発を強めているとされる他、2011年の反政府デモで中心的な役割を果たした層にも、フーシ派が民兵組織であり、武装組織であるコトから、反発が強いと言われている。

ISILの勢力拡大によってすっかり影が薄くなった感があるアルカイーダだが、その中ではパキスタンとアフガニスタンに続く拠点に成長しているイエメン。
そもそもビンラディンの父親は、イエメンのハドラマウト県が出身地(東部のシバームなどを抱えている県)であるし、武器の密輸入・輸出の拠点にもなっている国でもある。

北部から勢力を拡大するフーシ派との混迷が深まって行くのは、誰が見ても分かる感じである。

微妙なバランスで成り立っていたイエメンだった

そもそも、元々、一枚岩の国ではないのは、確か。

1990年にアデン合意の結果、北と南が合併し、南北が統一されてからも、双方の隔たりは確実にあったし、そもそも南も北も部族を元に動く国であった。

旅をするにしても、身代金を目的とした誘拐などが多発していたし、そもそも政府の勢力が弱すぎて、首都サナアに隣接しているアムラーン県に行くのですら危ない時期があった程だった。
海外で日本大使館に行ったのは、都合3回しかないのだが(充分すぎるかも知れませんが)、その内の1回が、ここイエメンだった程、昔から治安はそう安定している国ではなかった。

だが、イエメン内戦が終結してからは、表面上は、何とかこなして来ていた国だった。

少なくとも、身代金目的の誘拐はあっても、自爆テロや無差別殺戮が、そう度々起きている国ではなかったと思う。

それが2011年のイエメン騒乱の結果、大統領が辞任したコトで、微妙なバランスが、大きく崩れてしまった。

今、最も内戦の危機に立っている国と言っても過言ではないのかも知れないが、そう言う状況にまでなってしまった。

こうなると…
さすがにしばらくはイエメンを旅する状況にはならないだろう。

サナアにソコトラ、シバーム…
観光に適した場所を持つ国だけに、この国の今後は、注視して行きたい所である。

富永さんのマップが懐かしいけれど、ホントに、この雑誌の特集1冊あれば、旅が出来た。
ってか、地球の歩き方よりも、使える1冊だったけれど…
どれだけ変わってしまったんだろうなぁ…

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