聖ギオルギス教会の祈りの空気感

人・車・人・車…
それがアジスアベバの最初のイメージだった。
街中だし、首都なんだから、当たり前と言えば、当たり前。
でも、やっぱりこう人で溢れかえる場所と言うのは、それなりにエネルギーを消耗してしまうんだよなぁ…なんて、つい思ってしまう自分は、やっぱり旅人失格なのかも…(笑)

聖ギオルギス教会の空気感

車と人とでごった返すピアッサを抜けて、その先にある聖ギオルギス教会へ行ってみる。

それにしても…
ピアッサを抜けるのに、一苦労。
繁華街になっている訳だけれども、人の多さに辟易してしまう。

聖ギオルギス教会に辿り着いたのは、もう17時間際になっていた。
そんなに宿からも遠くない距離なので、すんなり行けるかなぁ…なんて思っていたのに。

んで、この教会自体が、17時まで。

内部には有料で入れて、別棟の教会博物館にある鐘楼などは上に登れるみたいだけれども、さすがにそんな時間はなかったので、外からぼんやりと眺めるだけに。

対イタリア戦の勝利を記念して建てられた建物だとかで、歴史的にはそこまで古くはないのだけれども、思ったよりも周囲になじんでいる感じ。

IMG_2596いや、周囲になじんでいると言うよりも、夕方の礼拝をしに来ている人や、通りがてらに祈りを捧げに来た人が結構いて、ちゃんと生活の中にこの教会が存在していると言う方が正しいのかも知れない。

でも、個人的には、観光地化された教会よりも、こうした生活に溶け込んでいて、今も“祈りの場”として機能している教会の方が好きだったりします。

ラリベラなんて、その典型的な感じで、保存としての形の是非はあるけれども、そもそもラリベラの教会群は、未だに宗教として信仰の場所だった。
そこに祈りの場所があり、そこに祈る人が集まる。
それは単純なコトなんだけれども、祈る時間すら失われがちな今の日本の社会にいると、それがとても尊いコトの様な気がしてならなくなる。

そして、その祈りの場所の空気感と言うのが、また好きだったりします。

それは、祈りの場所にしかナイ空気。
重たくもあり、でも、沈みすぎるコトもナイ。
何処か光が差し込むような、そんな空気感。

ここも外の喧噪とは全く別の空気が流れていて、ふと、ここがエチオピアの喧噪のド真ん中にあるコトを、一瞬ですが、忘れてしまう様な、そんな場所だった。

扉に唇を合わせる人。
地面に手を添える人。
ちゃんと中に入ってお祈りをする人。

それぞれ祈りの仕方は違う。
でも、それぞれの生活の中に、宗教と言うのがちゃんと入っている証拠でもある。
日本で、例え通り道に寺や神社があっても、軽くでも祈りを捧げる人や、寺社仏閣に敬意を表す人がどれだけいるんだろう…なんて思ってしまう。

でも、そうしたココロの余裕が、日々の生活の中にナイと、行き詰ってしまう。
それは忙しい日本の生活の方が、より必要なハズなんだけれどもね。

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